一定期間更新がないため広告を表示しています
* * |
碧い空に泳ぐ“くじら”に乗ったら・・・
Si je monte sur la baleine qui nage dans un ciel bleu... 自然の変化
2015.04.08 Wednesday
前回「自力の変化」の続き そうやって私は「私の人生は私が舵をとるものだ」と感じ、行動を起こしていました。 というか自分が行動しない限りは、得たいモノなんて手に入らないんだ考えていました。 そう、そうやって過ごしていました。 でも”妊娠”は違いました。 「今後のことも考えると、そろそろ赤ちゃんのことも真剣に考えないと。」 なんとなくふんわり描いていた理想を、籍を入れて2年目、連れ添って計8年目のころから現実的に考えるようになりました。 それでもやりたいことはまだまだ漠然とあって、自分のことが大切で、赤ちゃんを考える余裕はありませんでした。 だからといって自然の摂理に任せることもできなくて、私は私の方法で自分と向き合い、赤ちゃんと向き合うようにするしかないんだと思いました。 徐々に自分と赤ちゃんを受け入れられるように、2013年から準備していきました。 そして運良く1年後に赤ちゃんを授かることができました。 本当に運が良かった。 そこからはもうつわりに悩まされ、仕事+イベント活動という今までのライフスタイルが一変しました。 無理に今までの生活(9時出勤→18時退勤→19時イベント→23時帰宅)をしようものなら、 「そっちじゃないこっちだ!」と言わんばかりにつわり魔王に襲われる日々。 常に急性胃腸炎のような状態と貧血が続いていました。 したいことが半分も出来ない日々。 そんななか、妊娠4ヶ月頃にイベントメンバーと久しぶりに会うと「目つきが柔らかくなったね」と言われました。 そう、これが今回お話したかった「自然の変化」。 母としての自覚もなければ、そんなものを持つ心体の余裕もなかったのに、気づかないところで母へと変わっている。 それはつわりが苦しかったおかげなのか、お腹が赤ちゃんと羊水で温かいせいなのかは分かりません。 それでも私は自然の摂理に従って、ゆっくりと母になっているのかもしれません。 私自身の力でもなく、周囲の人からの影響でもなく、私の意識と独立して体の中で静かに起きている変化。 社会に出て、仕事をして、恋愛をして、夢に向かって...。 どれも自分の意識下にあって、自分で判断を下せるものだけれど。 そうでないものもあるのだと、赤ちゃんを授かって初めて知りました。 このお話は、「変化のきっかけ」→「自力の変化」→「自然の変化」の3部構成でお話しさせていただきました。 皆さんが新たな価値観に触れられたり、一緒に自らを振り返ったりすることができたら幸いです。 ちなみに、今日で臨月を迎えます。 またどこかのタイミングで更新できたらと思います。 今後ともどうぞよろしくお願いします。 JUGEMテーマ:人生論 自力の変化
2015.04.07 Tuesday
前回「変化のきっかけ」の続き なりたい人物像があっても、じゃあいま私はどうすればいいの? 23歳の頃から心の中でいつもそう問いかけていました。 人生をかけてやりたいことを見つけたかった。 それは”仕事”という形でのこだわりはありませんでした。 そもそも、仕事で自己実現=自己犠牲的な生活・不安定というイメージが潜在的にあったからです。 だから日常生活も大事にできる仕事に就きました。女性が一生働ける場所に就職しました。 でも1年やって分かったのです。「実は仕事で自己実現したかったんだ」ということが。 そんなときいまの旦那が、とあるイベンターを紹介してくれました。 「いつも悩んでいるから、若菜の何か手助けになるんじゃないかと思って」 イベンターの彼は言いました。 「いま何をしたいか見つからないなら、僕と一緒に何かやってみませんか?」 そこから4年間。飲み会、英語勉強会、写真勉強会、就活セミナー、着物会、バスケ会を企画・運営しました。 苦手だった飲み会を毎月開催し、緊張しながら司会をしていた英語勉強会を毎週開催し、写真勉強会で友人と一緒に毎月企画を考え、 就活セミナーで年単位で企画を練り...。 一人じゃやろうなんて思わなかったこと。 一人じゃ出来なかったこと。 本業じゃ実現できなかったこと。を4年間やり続けました。 得たものは無限です。 今年1月に写真の個展を開催したのですが、全て終わった後に旦那が言った言葉が印象的でした。 「常にちょっとの負荷をかけてきたからこそ、ここぞというときにスーパーサイヤ人2になれたんだね」 10日間で80名以上の友人が来てくれたのですが、全員が作品と場の雰囲気を楽しめるように、 対応に漏れがないように動いていた姿を見て、この言葉をかけてくれました。 * 私も知らなかったのですが、ドラゴンボールの主人公悟空がスーパーサイヤ人→2になるために、常にスーパーサイヤ人でいる修業をしていたのだそうです。 私はスティーブ・ジョブズのドット(点)の話が好きです。(以下、個人解釈) 今やっていることが直接将来に繋がるかなんて分からない。 けれども今心揺さぶられるものに打ち込むことによって、のちに振り返ったときに、 ドットとドットが繋がり自分の生きる道になっている。だから今やっていることが今後どこかのドットと繋がることを信じて。 私のドットはそんなに線で繋がってはいませんが、将来どこかのドットと繋がることを信じて、今を一所懸命生きたいと思います。 あなたはドットを打っていますか? このお話は、「変化のきっかけ」→「自力の変化」→「自然の変化」の3部構成で考えています。 次回は最終話、「自然の変化」を明日アップいたします。 引き続き読んでいただき、一緒に考えることができたら嬉しいです。 JUGEMテーマ:人生論 変化のきっかけ
2015.04.06 Monday
いつも変わりたいと思っていました。
大学1年生の頃に、とある60代の登山家と出会いました。 「寝食を忘れるほど集中できるものを見つけなさい」 彼はグレーがかった優しい瞳で、社会人懇談会に集まる学生たちに語りかけていました。 大学2年生の頃に、とある仙人と出会いました。 仙人は生きてきた90数年分の情報から、私に必要なことだけを理解しやすいように話してくれました。 仙人は痴呆症の奥さんをカフェへ連れて、周りのお客にも気を使い、いつも優しく接していました。 大学4年生の頃に、とあるキュレーターと出会いました。 「白髪のご婦人」という言葉がとてもよく似合う、背筋が通った細身の女性。 プライドの高い中年男性を前にしても、彼女は丁寧にしっかりとした口調で応対していました。 社会人4年目の頃に、とある人材教育家と出会いました。 社会人になって初めて出会った尊敬する女性。 辛いバックグラウンドがある中で培った技術と理論がとても人間的でカッコ良かった。 人との出会いがある度に、私は「こうなりたい」という気持ちを再確認する。 あなたの変化のきっかけはなんですか? このお話は、「変化のきっかけ」→「自力の変化」→「自然の変化」の3部構成で考えています。 次回の「自力の変化」は明日アップいたします。 引き続き読んでいただき、一緒に考えることができたら嬉しいです。 JUGEMテーマ:人生論 心のふたについて
2014.08.13 Wednesday
心にふたをすることについて 私は社会人になってから、 仕事で心が傷つかないように。 現実と理想の狭間で心がザワつかないように。 周りと比べて焦らないように。と。 でも心は正直で、夜になるとなんだか悲しくなりました。 私は何者になりたいんだろう。 いったい何がしたいんだろう。 どうにかこのトンネルから抜け出したくて、毎日ジタバタしてました。 仕事でも100%頑張る。 それ以外でも100%頑張る。 自分で自分を追い詰めてしまったけれど、 2年半が過ぎたころ、頑張った分だけ見えてきた世界がありました。 心のふたを開いたとき、見えてくるものがありました。 私が「何が好きで」、「何が許せなくて」、「何が大事で」、「 私が、あなたが、 いつ・どこで・誰によって・どんなときに、 悲しいけれど、辛いけれど、涙がこぼれるけれど。 「何が好きで」 「何が許せなくて」 「何が大事で」 「何の為なら無限の力を発揮できるか」 が、少しづつ見えてくるかもしれません。 JUGEMテーマ:人生論 SOSの猿〜遠い誰かのSOSに耳を傾ける〜
2014.04.12 Saturday
『SOSの猿』
それは伊坂幸太郎が書いた本の名前。 この中で、好きな主人公の台詞があります。 記憶をたどるとこんなことが書いてあったような。 「救急車のサイレンの音を聞くと、悲しくなります。 サイレンの先には、「痛いよう、痛いよう」と泣いている人がいると 考えてしまうからです。」 私はこんな風に考える主人公が好きです。 遠い誰かのSOSに耳を傾ける。 見えないのなら、想像してみる。 そして心で感じる。 きっと大震災のときも、多くの方が自然とこれをされていたのではないでしょうか。 震災1週間後、後輩から相談がありました。 「私の彼氏はフランス人なのですが、こんなことをいわれました。 「自分が震災に遭ってないのに、なんでそんなに悲しんでるんだ。おかしいよ。」と。 確かにそうなのかも知れないけど、上手く言葉を返せなくて。 なんでそんなことを言うの?となんだか悲しくなりました。」 私はこう思います。 日本は小さな島の中で、震災を繰返し経験してきました。 だからね、そういう風土の中で生きていると肌で感じるんです。震災の怖さを。 そしてね、想像するんです。相手の置かれている状況にできるだけ意識を近づけて。 そうやって、助け合ってきたのだと思います。 両親も、祖父母も、その前のご先祖様もがずーっと。 でもね、フランスは各国から移民してきた背景があるから、日本とちょっと違う。 共通する「言葉にない価値観」があまりないのかも知れません。 私は、「SOSを感じること」は相手の置かれている状況を想像し、感情を想像することだと思います。 感じた結果何をするか、なんて話はここではしません。 まずは「SOSを感じること」自体が大切なのです。 日常生活の中にある、見えないけれど発信しているサインを感じるのです。 『SOSの猿』伊坂幸太郎 http://www.amazon.co.jp/dp/4122057175 JUGEMテーマ:思想・啓発・哲学 「夢がない」ということ
2014.01.13 Monday
「夢がないということ」 FacebookやSNS、そして自己啓発セミナーなどでは、 「日々が充実していること」 「夢があること」 「夢や目標に向かって努力していること」 がとても評価されているような気がします。 当然ですよね。 私たちは幼い頃から、「○○ちゃんの夢は何?」と学校でも家でも聞かれ続けていました。 夢を持っていることが当たり前。 だから小学校の文集でも全員がなりたい職業を書いていました。 でも不思議ですよね。夢=職業なんです。 ※ちなみにですが、T大学の就職課の職員は、「夢=職業。職業という枠の中でやりたいことを見つけている。」 という考え方は日本特有だと言っていました。 私は、2014年で27歳を迎えますが、3年前から夢が分からないでいました。 就職して働きだしてから、仕事と夢は分離しました。 「夢がないこと」は私にとって、とても残酷でした。 周りの方々は夢があって、やりたいことがある。それが明確に話せる。 でも私はこの2年間「分かりません」しか言えませんでした。 「なりたい自分」というのは漠然とあるけれど、夢や目標がありませんでした。 色んな本を読んだり、色んな方と出会ったり、色んな場所へ行ったりして考え続けました。 そして2013年、やっと答えにたどり着きました。 答えは、私には夢がないということ。 たくさん考えたから、そのぶん胸を張って言えます。 ぼんやりと「なりたい自分」はあるので、それを頼りに進んでいこうと思い至りました。 ヒントは5、6年前に出会った言葉にありました。 それは、4歳から40年間獄中で過ごしていた江戸時代の女医、野中婉(のなか えん)の俳句です。 「五月やみ あやめも分かぬ 道筋も 尋ねて歩め おぼろ夜の月」 (五月闇のように、どうなるか分からない道でも、歩いていってくださいね。おぼろにかすんでいる月をたよりにして。(山下景子訳)) この言葉はとても大事な言葉で、6年間大事にしていました。 きっとこの頃から、答えは見つかっていたのかもしれません。 もしこの文章を読んで、夢が見つからない人は、 社会の風潮とか関係なく現状を受け入れることが出来てたらと思います。 JUGEMテーマ:こころ 「コンプレックス」は強い
2014.01.03 Friday
JUGEMテーマ:人生論
「コンプレックス」は強い。 2013年はそう思うことが多かった1年でした。 "コンプレックス"を国語辞典で調べると、こんな意味でした。 【コンプレックス】「自分が他より劣っているという感情。劣等感。」 劣等感があるからこそ、どうにかやり過ごしたいと思う人がいる反面、 どうにかそこを補える力が欲しいと思う人もいるのでしょう。 下に書いた方々は、もともとのお友達だったり、2013年に出会った方です。上で言う後者の方々です。 ・格闘技でむちゃくちゃ強い選手だけど、幼少期にいじめられていた方。 ・成績はほとんどSだけど、中退した経験のある方。 ・Facebookでもお友達が800人近くいるけど、7、8年前までは友達がほとんどいなかった方。 ・キャラが濃くて、初めて会った人にも顔と名前を覚えられるけど、幼少期から存在感のなさを感じていた方。 きっと本人達にとって、今に引きずるほど強い経験だったのでしょう。 ちなみに私は、一番最後の書かれている「キャラが濃くて、初めて会った人にも顔と名前を覚えられるけど、 幼少期から存在感のなさを感じていた方」です。 小学校の頃から感じていました。 私が今すっと消えても、きっと誰も気がつかないんじゃないかって。 家族はもちろん気がついてくれるけど、友達は気がつかないんだろうって。 本当にそうかなぁと思い、商店街を友達5人で歩いていたときに靴ひもを結ぶ振りをして立ち止まり、 5人の輪から外れました。 「誰か振り向いてくれるかな」 そう思ったけど、誰も気がつきませんでした。 中学生になると、その気持ちはより強くなりました。 母と買い物に行くと、いつも母だけ店員に顔を覚えられていました。 もちろんお金を払うのは母だから仕方がないと思いますが、中学生の私にとっては関係なかったんですね。 モデルのようないでたちの母は、声を発さなくても、1度行ったお店でも、顔を覚えられていました。 私は母とあまり似てないから。 自分が美人でいないということはすぐに気がつきました。 それでも私という人間を覚えてもらいたいんですね。強く思いました。 母にあって、母にないものは何だろう。考えました。 それは「話す」ということでした。 顔や形は変えられないけど、それ以外で変えられるところは何だろう。考えました。 それは「キャラを変える」ということでした。 高校生になると、一人でお店へ行き、店員と話す練習をするようになりました。 楽しい人だと思われなければ、きっと覚えてもらえないから。 1年近く同じお店へ通って、顔と名前を覚えてもらえるようにしました。 その積み重ねで、今があるのかなと思います。 何かが欠けていることに打ち拉がれて、 欠けているモノに対して強い感情が沸き、 それを補うために試行錯誤し、 その1つに対して何よりも努力をする。 「コンプレックス」には、人をそうさせる力があると感じます。 「コンプレックス」は強い。 「常に温かく誠実な1人の女性...」
2013.08.20 Tuesday
「常に温かく誠実な1人の女性があるとしたら、 社会的にどんなに見栄えのしない存在であろうとも、 その人こそ、世の中を善くする大きな原動力であると思います。」 これは、テレビでは40年以上放映されいる「サザエさん」の著者、 長谷川町子さんの言葉です。 先週、瀬戸内海の島々へ芸術祭を巡る旅をしたときに、 何人もの「常に温かく誠実な1人の女性」に出会いました。 「トマト持っていきーな。」 あるおばあちゃんは、37度の猛暑の中、 一人で日陰で休んでいる私にそう声をかけてくれました。 ちょうど休んでいた場所がおばあちゃんの畑の近くだったので、 その場で赤く熟れたトマトを採って「ほれっ」と渡してくれました。 その後、近所のおばあちゃんも加わり、本土にいる息子達の話や 「子供は早く生んだほうがいい」なんて話をしてくれました。 なんと近所のおばあちゃんは25歳のときに最後の子供を生んだそうです。やはり昔は早い。 「でも仕事がないから、若い人たちはみーんな島から出てっちまう。」 「陸続きじゃないし、遠く感じるわぁ。」 元気に話していながらも、話の節々に寂しさを感じました。 そんなこんなで話に夢中になっていると、宿に戻る為のバスがなくなってしまい、 タクシーを呼ぶことになってしまいました。宿は遠いので1万円以上かかってしまう。なんと。 すると、 「悪いことしたね〜。もうお盆だから民泊お休みしとんじゃー、でもこれも何かの縁だから。」 と言ってトマトをくれたおばあちゃんのお家に泊まらせていただくことになりました。 近所のおばあちゃんには別れ際にマンゴをもらい、 そのままトマトをくれたおばあちゃん(以後、ハナヱおばあちゃん)のお家に行きました。 何も持ってない私にハナヱおばあちゃんは、「洗ったばかりだから」と少しはにかんで パジャマとパンツを貸してくれて、夕飯をごちそうしてくれました。 翌日、朝ご飯をいただいた後、お礼を言って島を探検しに出発しようとすると、 「帽子持ってる?」と聞かれ、「持ってないけど大丈夫です!」と答えると、 すぐに部屋の中に戻って行き、麦わら帽子持って玄関に戻ってきました。 「暑いから被っていきなさい。」 おばあちゃん、何から何まで...。本当にありがとうございます。 私が行った豊島(てしま)という島は、過疎化がかなり進んでいます。 出会った"近所のおばあちゃん"は、 旦那に先立たれてからも大きな家にずっと一人で住んでいます。 ハナヱおばあちゃんの旦那さんも ガンで一度手術したことがあり、出会った翌日も本土の病院へ行っていました。 そんなおばあちゃん達から、いっぱいの優しさをもらいました。 この優しい気持ちを東京に持って帰ろうと思いました。 優しさのバトンを受け取ったんだって。誰かに繋げようって。 きっと私だけに優しかったんじゃないんです。 島に来た人たちみんなに同じように接してるんだと思います。 おばあちゃん達は気がついていないけれど、おばあちゃん達は社会の大きな原動力です。 やりたかったことをする
2013.08.17 Saturday
お久しぶりです。若菜です。 気がつけば、最後の記事から1年経っていたんですね。 今は社会人3年目。 仕事のこと、自分のことについて浮き沈みはありますが、 色々な人に助けてもらいながら、日々、一生懸命生きています。 体と心をないがしろにしがちだったので、1ヶ月に1日か2日、 家でゆっくりする日を作ったり、手帳を見返して自己点検する時間を作っています。 漠然と不安を感じていた私に対して、「“やりたいこと”を手帳に書くと良いよ」と 言ってくれた人生の師匠(小関さん)の教えのとおり、 「笑顔で暮らす」という言葉から始まり、やりたいことを書き綴るようにしています。 今回のタイトル「やりたいことをする」は、 漠然と思っていた「やりたいこと」を字に書き起こすことによって、 「漠然と思っていたやりたいこと」が出来ていないことへの“不安”を 少しづつなくしていき、少しづつ「やりたいことをやっていく」という意味です。 そして今回の写真は、 そんな「やりたいこと」の中の一つ“瀬戸内国際芸術祭に行く”をしたときの写真です。 仕事がお休みのときに、約1人で1週間ほど瀬戸内周辺を旅してきました。 (最後の2日間は友達と合流) この旅で学んだことは数え知れません。 でも旅の中で、6年前に出会ったある言葉を思い出しました。 一言一句間違えずに書きたいので、本に書いてあるとおり書かせていただきます。 「常に温かく誠実な1人の女性があるとしたら、 社会的にどんなに見栄えのしない存在であろうとも、 その人こそ、世の中を善くする大きな原動力であると思います。」 これは、サザエさんの著者である長谷川町子さんの言葉です。 なぜこの言葉を思い出したか。 話が長くなってしまいそうなので、また次回書こうと思います。 大事な話なので、ゆっくり書きたいと思います。 社会人2年目
2012.08.07 Tuesday
みなさん、お久しぶりです。 |